2008.04.04 Fri 00:35
ちりとて余波
その発端の第150話からかれこれ1週間か…。
前のエントリはまだもやもや〜んとしたままとりあえず書いてみたという感じだったのだけど、何日か過ぎいろいろと見えてきたこと、書き足りなかったこととかも出てきたのであらためて。
あの結末が不満な人には、
1) 落語を辞めてしまうということに対して納得がいかない。
2) そういう選択もありだろう。が、あの辞め方はいただけない。
の2パターンがあり、自分は(2)だった。
しかし、その所業に疑問を感じるうちに(1)の思いも強くなってきた。
人の世話ばかり焼いて自分のことは後回し、そんなお母ちゃんの脇役的生き方を全否定して飛び出した主人公が紆余曲折の末その素晴らしさを実感。そしてそんな風に生きたいと思う…物語の主軸は母と子の物語ということなのだろう。となると、「なりたいものが見つかった」「お母ちゃんみたいになりたい」という結論にたどり着くまでの間を極論すれば『モラトリアム状態』ということになってしまう。
ところが、その『猶予期間』において一度は落語家を志し修行の日々を送っており。不器用ですぐ物事を悪いほうに考えてしまう喜代美をなだめすかしてなんとか一人前にしようと周囲の人々は尽力してきた。実際ちょっと甘すぎるんでないかい? ってくらいに。入門から10年と少し。ゆっくりと、でも着実にカタチになりつつあったところでの「辞めます」宣言。そりゃ、なんじゃそりゃ!? ってなる罠。
思えばこのドラマ、以前から冷静に考えれば「はて?」と首を傾げたくなるところも多々あったのだけど、それをも凌駕するパワーで最後には力技で納得させられてしまう感じはあった。その強引さが心地よくもあった。それが今回は裏目に出たというか不発だったというか。
以前木曽山くんに「落語は一人でやるものではない、みんなに支えられてやるもの」と力説しながら、当の本人はみんなのことなど考え及びもせず、誰にも相談なしで唐突に高座で引退宣言。お客さん、関係者大混乱。挙句、「ほやかて…見つけてしまったんですもん。自分のなりたいもん」と妙にすっきり顔。
んんんー、これじゃあまりに配慮がなさ過ぎる。
潔い決断というより独善的という印象になってしまった。
過去の放言をお母ちゃんに謝る前に、今やらかしたことについて釈明せんか!
しかもそのやりたいこととは、自分が表舞台に立つことではなくサポートする側に回りたいと。今までさんざんサポートしてきた人に対してなんのフォローもなくそんな調子のいい話があるかいな。
言うたら大どんでん返しだもんなあ。相当な力量や細心の注意が必要だ。しかもその上には10月から半年間、150話に渡り積み重ねたものがある。跳び箱や達磨落としも同じ、力任せに「エイヤッ!」で乗り切ってきても段が増えれば難易度は上がる。より正確に確実にポイントをクリアしないと良い結果は出ない。ドラマも大技で方向転換を狙ったものの、勢い任せで雑にやってしまい、積み上げてきたものがドンガラガッシャーン! と崩れてしまった感。ああ、つくづくもったいない…。
「お母ちゃんみたいになりたくない」→「お母ちゃんみたいになりたい」と印象的な台詞が対になっていることからも、この結末はテコ入れとか路線変更とかいったものではなく当初のプロット通りなんだろう。「お母ちゃんみたいになりたい」と言う台詞を言わせたかったんだろうな。だったら、だからこそ、その台詞に至るまでをもっと丁寧に描写して欲しかったと思う。
陰日向となり皆を支えるお母ちゃんの生き方は素晴らしい。けど、その生き方を肯定することと、自分もその道を進むということはまた別の話。なりたいからってなれるものでもなし。実際今喜代美は『徒然亭若狭』として男社会の伝統の世界で数少ない女流としてやっている。そんな自分があるのは個人で努力することももちろんだが、お母ちゃんのように支えてくれる人々あってこそ。となれば、そんな人々に感謝しつつ自分の責務をまっとうするってほうが自然な流れに見える。なにも母と同じことをしなくてもね。
それでももしお母ちゃんのようになりたいと思うならば、それ相応の辞め方っていうものがあるやなあ。やっぱりあれはないわ。例えば…高座でいきなり発表ではなく、まずは引退を考えていると一門に相談(ここで今までの感謝と辞めるということの謝罪)→「何言ってんねん!」草々激怒→説得のために小浜から糸子やってくる→「お母ちゃんみたいになりたい」…てのは? インパクトは弱いかもしれないけどよっぽど筋は通っている。改めて『徒然亭若狭サヨナラ公演』開催ならお客さんもご贔屓さんも関係者も、惜しみながらもそれなりの覚悟で見送れるだろうし。
今更言うても詮無いこと。けど、言わずにはおれん。その渦中では終わりが名残惜しかったというのに、いざ終わったら『まつりのあと』の寂しさや虚脱感というより、やっちまったな…という『あとのまつり』感に苛まれるという…皮肉だ。この感覚、前にもあったな…と思ったら、朝ドラ「ファイト」だ。あれもラストでずっこけたんだよな…。朝ドラの伝統か?
でも、第25週までは本当に楽しんだ。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態にはなりたくないんでね。
今は熱くなってるけど、時がたてば冷静に見られるでしょう(期待)。
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